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           メール・マガジン

      「FNサービス 問題解決おたすけマン」

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    ★第010号       ’99−08−27★

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    「有教無類」

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●え、また銃乱射事件?

 

と思わされる頻発ぶりである。ロサンゼルス郊外のユダヤ人コミュニティ・

センター。何故か犯人はラスベガスまで逃げ、そこで自首したというが、、。

 

ほんとにアメリカはどうなっているんだ? と言っては陳腐すぎるけれど、

銃、麻薬、暴力、、コワイ手本ばかり示されちゃ困るんですよ。何しろ長年、

あの国の影響を被りながら来たわが民族。すぐ真似するのがいますからね。

 

護身用どころでない「攻撃用」の「武器」で、無防備の、しかも子供たちを

70発以上も撃った犯人。供述していわく、「ユダヤ人を殺すように米国の

目を覚まさせるため」"...a wake-up call to America to kill Jews."と。

報道は締めくくって、「白人至上主義者の憎悪差別犯罪」。 至上???

 

 

たしかに地球上、神様の気まぐれと言うべく、実に(文字通り)「色々」な

人種が存在している。それぞれの集団的特徴をおおらかに受け容れることは

可能だし、その精神が多くのTV探訪番組を成り立たせてもいる。

 

しかし、肉体的な特徴と精神的な能力や性格に相関がある、と決めてかかる

のは人相学や手相学の範囲に留めたいものですな。それを「奴らは要らない、

殺せ!」にまで高めてしまったら、やはり異常と言わざるを得ません。

 

*   *

 

「憎悪」は感情、即ち右脳の働き。要するに「好き・嫌い」。しかし普通、

いくら嫌いな相手にも、伝統的日本人なら殺すとまでは言わないでしょう。

会うのを避けるとか、陰で悪口を言うとか、時にののしるとかはあっても。

 

「差別」は優劣比較の屁理屈、即ち左脳の働き。「殺す!」とハラを決める

のも、その手順や方法を工夫するのも、言えば理性の産物。「理性」とだけ

聞けば悪いものには思えないが、その用い方次第では邪悪な結論をも生む。

 

悪い考えも、理性の抑制が効けば、行動には表われない。が、犯人の狂った

理性は良い判断も生まなかったし、さらに抑制も果たさなかった。そんな男

に「それが至上なの?」と訊きたいね。ろくな答えはしないと思うけれど。

 

*   *   *

 

「人種と知力の相関」という話題は、単一人種で成り立ってきた我が国では

滅多に関心を呼ばない。が、モザイク社会アメリカでは昔から常に論争の的

であり得たし、色々な理屈がこじつけられました。当然、黒人問題にも。

 

第一次大戦中に行なわれた米陸軍の知能テストでは、全体として白人兵士の

方が黒人より出来が良かったそうです。 やはり、白人の方が優れている!

 

地域に分けても、北部出身の白人は同じ北部の黒人よりよく出来、南部出身

の白人は南部の黒人より出来が良かったという。  ほら、これで決まり!

 

ところがドッコイ、北部出身の教育程度の高い黒人は、南部出身の教育ある

白人よりよく出来たということが分かった。素質優越が前提の白人至上主義

として、これは困る。 「主義」が成り立たなくなってしまいますからね。

 

*   *   *   *

 

要するに、そのテストが証明したのは肌の色と知能の相関ではなく、知能に

及ぼす教育の効果だった、ということ。南部に比べて北部には経済力があり、

その環境では教育が必要かつ可能。優劣差の原因は、人種的素質ではなく、

授けられた教育にあったのでありました。

 

それを東洋の知恵、孔子様は簡略に「有教無類」とおっしゃいました。人間

の種類による違いは無いんだ、あるのは教育の違いだけなのさ。これ、邪悪

な白人に分かるかな? 分かっちゃくれないだろうなあ。

 

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●「すべての人間は平等」

 

と宣言した後も長く奴隷制度を続けたアメリカでは、その矛盾を正当化する

論拠が必要になりました。そこで持ち出されたのが「人種」の考え方と白人

優位説。 歴史の浅い国にしては、これは根が深い。当然、恨みも深い。

 

 

もともと身勝手な説だから、「すべての人間」の中に黒人は含まれない、と

もしている。彼らは素質劣悪、正確に言えば人間ではない。教育を施しても

無駄、、、だから、と南北戦争以前、南部諸州では、奴隷に読み書きを教え

てはならぬ、と法令で定められていたそうです。 それだけではなく、

 

奴隷の子は赤ん坊のうちに母親から引き離し、知的成長を阻む。さらに市場

で売り飛ばし、家族をバラバラにしてしまう。文化の伝承を許さず、伝統を

形成させない。 黒人を強い集団にさせないための、白人の悪知恵でした。

 

*   *

 

フレデリック・ダグラスは19世紀アメリカの演説家、文筆家、政治指導者

でしたが、もとは農園の奴隷として生まれました。初めは野良仕事、その後

売られて都会へ移り住み、内働きに変わりました。そこには何と書物があり、

文字の読める人がいた、、、 チャンス? 素質と意志のある人には、ね。

 

やがて生得の観察力で、読む人の唇の動きが文字と対応していることに彼は

気づく。そして主人の息子の教科書を研究し、意を決して主人の妻に助けを

求める。彼女は「教育禁止」の法令を知らなかったらしく、協力してくれた

そうです。が、ある日ついに主人が気づき、激しく妻を叱ったその言葉。

 

  「黒んぼは言われたことだけをやるものだ。読み書きを教えたら、

   奴隷として使い物にならなくなってしまう!」

 

その瞬間に「黒人を奴隷にしている白人の力が分かった」、と彼は書いてい

ます。以後、主人の妻からは教えてもらえなくなったが、様々な工夫で勉強

を続け、ついには奴隷制度の無い州へ逃亡する。その間、覚えたことを奴隷

仲間たちに教え、それを次のように記している。

 

  「彼らの精神は飢えていた・・・彼らはそれまで、精神の暗闇に

   閉じ込められていたのだ。私は彼らを教えた。それが私の魂の

   喜びだったから。」

 

*   *   *

 

「知るは喜びなり」と言いますが、「教える」ことはそれ以上に大きな喜び

、、のはずですね。そのような「喜びの交換」によって達成されるのが教育

というものですから、教養人は本来、幸福感に満ちていなくてはオカシイ。

 

   私見:日本の教育は大体オカシイ。いわゆる教養人に幸福感が無い。

 

「至上」を気取るからには教育もあるだろう白人が、銃乱射という血生臭い

行為に及ぶのは、さらにオカシイ。受けた教育が良くなかったのか、教育を

受けなかったのか、、。いずれにしても、みずからの行為によって、掲げて

いた主義の虚偽、彼らの言う「至上」の実体を証明した形。 狂ってるよ。

 

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●人種の違いによる優劣

 

というべきものはしかしながらある、と思う。優れているのがどの人種かは

知らないが、低劣ぶりが歴然としているのは、ああ、我が日本民族!ですぜ。

NHKの電波に乗って全国に振りまかれた番組。 ご覧になりましたか?

 

8月11日8PM、NHKTVチャンネル1「14歳になりました」。子供

たちを7年ごとに追跡取材、という副題。子育てを終わって何年も経つ当家

ではあるが、習い性となってこういうのは気になる。妻と並んで観ました。

 

 

それが終わり、次は、、で同じ夜10PM、同じテーマのアメリカ版が同じ

NHKTVで、ただし何故か今度のはチャンネル3。「7年ごとの成長記録

・アメリカ・14歳それぞれの現実」子供たちは銃、麻薬、社会問題をどう

考えるか?何を夢見ているか。 比較のためにも、こりゃ見なくちゃ。

 

さすが自己主張の国、7歳でそこまで言えるものかね?! それが14歳と

なればますますシッカリ。ギャングや麻薬のような、身近で手軽な悪の存在

にも負けずに成長する姿は、既に市民そのもの。 甘えを感じさせない。

 

*   *

 

続いて翌8月12日、「7年ごとの成長記録・旧ソ連・14歳激動の時代を

生きて」。その7年の間にソ連は崩壊して独立国家に分裂し、情勢は激変。

中には追跡不能となった子もいれば、自殺未遂経験者も一人ならず。また、

もらわれてアメリカに移住した子もいる。それぞれ悩みが深いだけに想いも

深く、その不幸が彼らに成長をもたらしたとも言えるが、見てつらかった。

 

第三夜(8月13日)はイギリス編、「そして子供たちは42歳になった」。

これが本家だった、と漸く了解。1963年7歳から始めて7年ごと、6回

の取材を重ねたのだから粘り強い。さすがイギリス人!と感心。もっとも、

この反復継続取材を重荷に感じていたと述べた人もいたが、当然でしょう。

 

*   *   *

 

主人公たちがどのようにして選ばれたのかは知らないが、それは7歳時点の

こと。その7年後にどうなっているかまでは誰も予定できない。14歳の姿

は、従って、無作為的に生じた「結果」と見て良いだろう。 しかし、

 

これだけ比較対象を並べられると、もはや日本民族の「幼児性」は覆い隠す

べくもありませんな。7歳時点で既に「素朴さ」が目立つが、14歳、もう

グローバル・デファクト・スタンダードから隔たること遙か、の感あり。

 

「日本代表」の特徴:問題意識が見られず、社会性が乏しく、まして大きな

希望を語るなんてことが無い。精一杯善意に解釈しても、平和ボケですね。

 

しかし、日本ではオトナが平和ボケしているのだから、子供だけ責めるわけ

には行きません。「代表」たちのまわりにもオトナはいたはずですからね。

 

あまりにも自由、即ち選択肢豊富なるが故に、かえって決心が固まらない。

いや、ボンヤリしていても許すんだな、まわりが。 まさに愚者の楽園。

 

*   *   *   *

 

日本の14歳が「普通」なら、他の14歳はオトナ。彼らが「普通」なら、

日本代表は腑抜け。その差を私自身、痛感したことがあります。29歳、

初めての渡米で同業者を訪ねた時、未熟な英語でも用が足りてしまった。

 

こちらの考えること、言いたいこと、すべて察知してくれる、と言うより

読まれてしまう。心の働きが事実上、オトナと子供ほど違っていました。

 

後年、東北某県某過疎町に工場を建て、土地の人々とやり取りすることに

なった時には、その反対の経験。町の人が何を言い出そうと、全て瞬時に

見通せてしまった。忘れ得ないのは、その地域の人々の第一印象、「埴輪

みたいな顔だな」。表情は心の働きの反映。シンプルな心だからシンプル

な表情。それに比べたら、こんな私の心でも十分に高機能だったわけ。

 

で、日本14歳の表情。その年齢ならなくてはなるまい元気さ、敏捷さ、

好奇心、希望などが見られない。特に気になったのは、眼差しのあいまい

さ。あの「窓」から見えた「心」に、問題解決型の明晰さは無い、、、。

 

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●彼らのハキハキしない

 

しゃべり方は、左脳の働きの悪さを示しているし、のびのびした答えでは

全然ないところから、右脳の方も長らくお休み中だろうと想像がつきます。

 

 

しかし彼らもひとりでにそうなったわけではない。頭の働かせ方も誰かに

習ったはずです。我が教育制度に多くの責任があると言わざるを得ません。

 

文部省と日教組、ずっと喧嘩をして来たが、それは誰のためだったのか。

少なくとも子供たちのためでなかったことは、3夜の映像が証明しました。

 

日本人の素質が良くないとは(自分の経験に照らしても)思いませんし、

英語や数学に限って言えば、教科書の出来も悪くない。もし「有教無類」

を認めるなら、教え方か、学校制度のような仕組みか、いずれにしても

「教える側」の具合悪さのせいだ、と断定せざるを得ないでしょう。

 

*   *

 

やたら結果の平等を求めるのもオカシイ。それ自体「教育的」じゃないね。

種を蒔いても、芽を出すとは限らない。芽が出ても、同じに育ち、同じ味

の実が生る保証は無い。  教育とは農業なり、、が私の持論です。

 

「教育の違い」を認めないのは、むしろ人間性無視だぜ。教育向きの人も

いるし、「技」の人もいる。本人の特性とは無関係に進学のみを迫る方も

ヒドイが、それに従う本人もヘンですね。 意志や思考力、無いのかね?

 

*   *   *

 

しかし思い返しても、「外国の7歳」は喋る中身がシッカリしていたな。

オトナの口真似かも知れない。が、真似なら「日本の7歳」もするはずだ。

真似しているのに頼りない、、のは、日本のオトナが頼りないからだろう。

 

7歳にして「・・になろう」と決めた人生を実現した例が外国では珍しく

なく、それもひとのために尽くす仕事で、カネ、カネ、カネ、、ではない。

爽やかというか、見上げたものというか。 人間の格が違う、、、としか。

 

*   *   *   *

 

人間は初めから人間なのではなく、教育されて人間になるのだと言います。

それが家庭教育だろうと、学校教育だろうと、企業内教育だろうと、、、

そして生涯を貫く自己啓発であろうと。教育の質と量をよく考えなくては。

 

特に管理職が扱うのは、モノでなくヒトです。人間相手の仕事をするなら、

人間の普通の水準を超えていなくては差し支える。また、相手さんに対し

ても失礼です。もっとも近頃、人材の質的低下は年々甚だしい。「あんな

のよりマシ」を保つのは難しくない、、? いいえ、そんなの認めません。

 

目指すべきは当然、グローバル・スタンダード。 さて、どうしますか?

                           ■竹島元一■

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